甘くて苦い


※HBOmax版「フィオナとケイク」予告の二次創作です。配信開始前に書いたので本編の設定と異なります

※今作は左右不明な感じですが、作者はガムボール×マーシャル寄りです



 どうするべきか、何度も自問しては店の窓の外を眺めて、それでも答えは最初から決まっていた。
 帰り支度にいつもよりも余計に時間をかけ、意を決して店の裏口のドアを開くと、やはり彼はまだそこにいた。煩わしいはずなのにどこかで安堵する自分がいて、なおさらうんざりした気持ちになる。
「ずっとそうしてるつもりなのか?」
 こちらに気づいている癖にうずくまったままでいる男に声をかける。できるだけ不機嫌に聞こえるように。
「マーシャル・リー、」
 もう一度だけ、これが最後のつもりで名前を呼ぶとようやく目が合った。背中を丸めたまま、夜の闇みたいな目が見上げてくる。「よお」と地を這うような低い声。
「行くあてがないのか?」
「……」
「……今は恋人の所にいるって聞いてたけど」
「あんな奴もう知らねえ」
 一言だけ吐き捨てると、かろうじていつもの彼らしい挑発的な笑顔を保っていた赤い唇はゆがんだ形で引き結ばれてしまう。
 店の外に姿を見つけた時からいつもと様子が違うのは気付いていた。いつも、とは言っても最近は疎遠で──正確には互いに避けていたから、こうして直接話すのは奇妙な感じだった。非常に居心地が悪い。
 はあ。思わず漏れたため息が白いもやになって消える。街にはもう、冷たい冬の夜が降りてきていた。
 このまま立ち去るか、ほんの少しだけ悩んでから、マーシャルの腕を引いて起こす。ベーシストの手はひどく冷たくなっていた。あいにく手袋は持っていなかったから、もう一つため息をついて、晒されたままの首に僕のマフラーを巻き付けてから歩き出す。
 マーシャルの腕を引いて帰り道を歩いていると自然と高校時代の思い出が蘇ってくる。あの頃はこんなふうじゃなかったはずだけど。くだらない話ばかりして、ただ笑って、時々手を握り合ったりして……。認めるのは癪だけど、彼の隣で過ごすのはもっと楽しかったはずだ。
 別れた後も彼の様子は時々フィオナから聞かされていた。昔から親と折り合いが悪かったマーシャルは、大学に進学すると友人や数多のガールフレンドとボーイフレンドの元を転々とするようになった。
 ここ半年ほどはアッシュという女性のところで暮らしていると聞いていた。そこに落ち着いたのならよかったじゃないかと僕は言ったけれど、フィオナは気掛かりな様子だった。どうやら彼女の予感は当たったらしい。
 時折、背後からすん、と鼻を啜る音がかすかに聞こえたけれど、それ以外にはどちらも、なにも言わなかった。
「ぅ、わっ」
 玄関の鍵をかける音とほとんど同時、首すじに冷たく濡れた感覚がして思わず悲鳴を上げる。
「コーヒーとバターと、それに砂糖の匂いがする」
 マーシャルのニヤついた声が背後から聞こえて、その余韻が背筋をゾワゾワと駆け降りていく。快と不快がないまぜになって、触れた箇所が冷たいのに熱い。頭の奥がかっと熱くなるのは怒りであり、別の何かでもあった。
「そっちはタバコと、香水の匂いだ」
 調子に乗って伸びてきた手を先に捕まえて、彼をバスルームに押し込んだ。



甘くて苦い

2023.08.20